2016年12月22日

【後編】 “ほしい未来”を、アートでつくっていく。

多様な観客に語りかける、“オーディエンス・デザイン”の必要性。

今話題に挙がった“伝統工芸”のように、それぞれの土地やまちには、必ずその土地に根付いた様々な問題とか課題があると思うんですね。国としても、例えば人口問題や居住問題、あるいは福祉や人権、教育問題といった、それぞれの社会問題に対してアートがどういったアプローチをしているのか。そんなことを分析して指標をまとめたものが、文化庁から公表されていたりします。

地域ごと、あるいは国としてどんな課題意識を持っているか、参考にできるのはいいですよね。
ただ、それがどんな“成果”や“評価”に結びついているのか。ソーシャルビジネスの分野でさえ、まだまだ見えづらいと言われている部分だと思うんですが、貨幣経済で換算されない“ソーシャル・エンゲージド・アート”の社会的インパクトって、何を大事にしているんでしょう?

工藤
これも本当に難しい質問ですよね(笑)。SEAは、言葉通り“アート”と“ソーシャル”の両方の領域にかかっているわけです。どうしても、日本だと社会的インパクトにばかり議論がいきがちで、“ソーシャルデザイン”や“コミュニティデザイン”と比べられることも多い。ただ、“デザイン”という言葉が入ると、クライアントの注文に対してどれくらい応えられるのかいう基準になることが多いですよね。対して、SEAは関わるコミュニティはあっても、そのひとたちがクライアントではない、ということ。
“アーティスト主体の創造的な活動である”という大前提のもと、人の意識や社会にどう影響を与えたのかという、アート視点の評価がSEAには欠かせないということです。

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となると、SEAならではの “観客”や“オーディエンス”へのアプローチ方法があったりするんですか?

一般的な考え方として、2つのアプローチ方法があるのかなと思っています。
一つは、「あるソーシャルな課題を抱えている人がいるから、そのためにプロジェクトを行う」という方法。もう一つは「ソーシャルな課題を扱ったプロジェクトを行うことで、それらに関心のある人が集まる」という方法。ただ大事なポイントは、アートにあまり関わりのない人たちにも積極的に参加や鑑賞のチャンスを広げることを目指すからこそ、SEAの“観客/オーディエンス”は一般市民を見据えるということです。そのために、アーティストは「自分の作品のオーディエンスは誰なのか」と自問自答することがとても大切ですよね。

SEAのオーディエンスは、“観客でもあり、参加者でもある”ということですね。

そうです。アメリカみたいに人種や教養レベル、言語も多種多様な観客に語り掛けていく手法として開発された“オーディエンスデザイン”という手法があるんですが、これがSEAのプロジェクトを進めるうえで絶対必要なんじゃないかと思っています。だって、参加といってもいろんな概念があるでしょ?(笑)

ちょっと、この円グラフで説明するとわかりやすいかなと思うんですが、

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「創作の起点」
円の中心=プロジェクトの中心。アーティスト本人のこと。

「協働(コラボレーション)の参加」
アーティストと積極的にコラボレーションしたり対話したりすることで、
作品の構成要素や発展するための材料をつくっていく。プロジェクトの責任を共有する参加のこと。

「創造的な参加」
アーティストがある程度設定した構成の中で作品の要素になるコンテンツを提供する、
能動的な参加のこと。

「指示による参加」
アンケートやヒアリングへの協力、あるいは決められた作業をこなすといった受動的な参加のこと。

「名目上の参加」
純粋なプロジェクト参加者、あるいはプロジェクト終了後のドキュメンテーション閲覧も含む。
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このように、参加の深度は中心に近づくほど深く、関わり方によって参加者のプロジェクトに対する意識の醸成具合が比例していくと言われているんですね。これを参考にすることで、アーティストは自分の作品づくりの指針にできると思います。例に挙げた川俣さんの事例がまさにそうですが、
参加者が「これは自分が作った作品です」って言えるようになるのは、なかなかすごいことですよね。

おっしゃる通り、川俣さんのオランダの事例は、まさにコラボレーターや創造的参加であるからこその質や相互作用が生まれているんだろうな、ということが納得できました。ただ一方で、それは単なる“オーディエンス”ではなく、ソーシャルな問題に直面している“当事者”として関わっている。だからこそ、アーティストにより近しい視点で協働がなされているような気がするんですが、日本でも当事者と一緒に課題解決を図るような、直接的なSEAのプロジェクトってあったりするんでしょうか?

うーん・・・、やはり日本は当事者としっかりコラボレーションするというよりも、どちらかと言えばアーティストが問題提起をして、そこにプロジェクト参加者として関わってもらうことで意識変革を促していくようなものが多いんじゃないでしょうか。対して海外は、社会的問題に対して専門性の高いNPOや団体とコラボレーションしてソーシャルな問題や制度に切り込んだり、あるいは既存に変わるオルタナティブなサービスをつくるようなアクティビズムって多いですよね。しかも、そこにアートとしてのパフォーマンス要素もちゃんとある、というのが大事なポイントです。

 

“心がワクワクすること”に、人は希望を見出す。

そこですよね。もし、パフォーマンス要素がない直接的なサービスとなると、むしろアートである必要がない。いかに仕組みとしてマネタイズさせていけるか、ということが重要になってくるように思えます。でも、SEAはそうじゃなくて、“アート”という部分を包括することで、観客にどう考えさせるか、そのための余白に風刺やパロディを効かせたりして、クリエイティビティを授けたパフォーマンスとしても成立させていく、と。

例えば、メキシコ西部の都市クリアカンでのプロジェクトがあるんですが、そのエリアは犯罪が多くて、ピストル所持や麻薬取引関連の社会問題が常に山積してる場所なんですね。そこで、ペドロ・レイエスというアーティストが、ピストルと電気器具などと替えられるバウチャーを発行して各家庭に配り、1,527丁のピストルを集めたそうです。その回収したピストルを大きなローラー車で踏みつぶして鉄板にし、さらには溶かしたものをシャベルとして作り替えた、と。そして生まれ変わった1,527本のシャベルを学校やコミュニティに配り、みんなで木を植えていくっていうプロジェクトを行ったんですね。

Pedro Reyes, Palas Por Pistolas (Guns for Shovels), 2007

Pedro Reyes, Palas Por Pistolas (Guns for Shovels), 2007

1,527丁のピストルが、1,527本のシャベルになったんですか!

実際、銃の問題は解決したのかと問われれば、正直なところ、その時点で根本的な銃問題の解決を目指すには、まだ道のりは遠いとは思うんです。ただ、これが単に銃を没収して、規制していく制度として人々に強制させるのか、あるいは、銃を生活の代替品と交換し、それが実はコミュニティの緑化にも役立ってしまうというようなパフォーマンスとして人々に参加をしてもらうのか。
社会的インパクトで言えば、後者による心理的影響は圧倒的に大きいですよね。
そこから銃の問題を意識的に考えるようになった人が増えたんじゃないかと思うんです。

Installation view courtesy of Biennale de Lyon, 2009

Installation view courtesy of Biennale de Lyon, 2009

日本でもそうやって実際に人の生活につながるプロジェクトがないのかなと考えていたんですが・・・、例えば最近の地方芸術祭なんかをみていると、建築をベースにしたようなアート活動が増えてきているような気がするんですよね。民家を改修して作品を展示したり、地域に開いたパブリックスペースにしたりしながら、まちに住んでいる人たちの生活を包み込んでいく。そういった建築的なアプローチがSEAに近しいのかなと思ったりするのですが・・・。

なるほど、たしかにそうかもしれませんね。でもそれはなぜかと紐解いてみれば、背景にはまさに今の日本の社会問題があるのかもしれない。例えば高齢化による都市部の空き家問題とか、家を持たない選択をする若者の増加とか、あるいは空洞化する商店街のように、建築界は“新しい建築物を建て続ける時代でない”という問題に直面しているってことなんでしょうね。だから、今ある資源をどう活用してコンバージョンしていくか、ということを考えざるを得ない。問題意識を持ち、住民に参加してもらい、それが結果としてコミュニティやまちにどんな変革をもたらすか。建築的なアプローチのように、きっと周りにたくさんあるであろう日本らしいSEAの在り方のヒントを見つけていきたいですよね。
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今、わたしたちがいる環境をみてみれば、それはもう課題山積地のど真ん中。
少子高齢化、医療年金問題、エネルギー問題にインフラ危機など、
先人たちが誰も経験したことのないような、課題先進国ニッポンに身を置いている。

だからといって、「今日から自分は地球を救う」と宣言しても、
きっと、何から始めていいのか検討すらつかないはず。
なぜなら、掲げる課題が大きすぎて、なにひとつとして“自分ごと”になっていないからだ。

大きく見えるソーシャルな問題ごとも、元を辿れば“誰か”が抱えている課題や問題であるならば、
まずは、自分の中に小さく芽生えた“声”に、素直になってみる。
そして、自分がすぐにできる“一歩目”はなにかを考えてみることが大切なのではないだろうか。
言葉や絵にして人に見せてみるのもひとつだし、実際に足を動かしてみるのもひとつ。
SEAが多様な作品手法や参加形態を包括しているというのは、そこにあるような気がする。

“闘う”の思想をベースに持つ欧米のように、アーティストが宣戦布告として社会に課題を突き付けるのもひとつだが、“調和させていく”という日本らしい思想で、「自分たちにとって実現したい未来」を描き、
時にはぶつかりあいながら、いろんな立場の人たちと協働してカタチにしていく。

そんな日本らしい考え方や習慣に今一度目を向け直してみることで、
金沢、あるいはそれぞれの土地らしいSEAやAIRのカタチを考える第一歩になるのではないだろうか。

取材・文/喜多舞衣(オノマトペ)

2016年12月22日 | Posted in レポート | タグ: No Comments » 

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