2016年12月22日

【前編】 “ほしい未来”を、アートでつくっていく。

「ソーシャルビジネス」に「ソーシャルデザイン」、
「ソーシャルメディア」、「ソーシャルインパクト」・・・。

ここ数年、巷に溢れかえるようになった、「ソーシャル◎◎」という言葉たち。
言葉だけみれば、よくあるワードに「ソーシャル」という一文字をつけただけ。別にどうってことない。
しかしどうだろう、その冠詞がつくことで、急に自分とは関係のない遠い世界の話に感じてしまうことはないだろうか・・・。

「ソーシャル」=「社会の、社交的な、社会的な・・・」

思わず調べた辞書の中には、そんなワードがずらりと並んでいる。
それをみて、「あぁなるほど・・・」と、一人呟いてしまう自分がいた。

誤解を恐れずに言ってしまえば、我々はこの意訳をいささか言葉通りに受け止めすぎているのかもしれない。社会=全体とだけみてしまえば、視点は一気にスケールアウトしてしまう。
だからこそ、「目の前のことに追われる自分は、ソーシャル◎◎とは次元の違う世界だよね」なんて、
思ってしまうんじゃないだろうか。

でも、実際の社会は“よくわからない何か”でできているのではない、ということ。
本来は、一人ひとりの人間の集まりであるはずで、
いろんな“わたし”と“あなた”の関係性が絡まり合って成り立っているようなものだ。
だからこそ、ソーシャル(社会)には、常にいろんな問題が生まれてくる。

そこで、様々な社会的問題を“芸術的な表現活動”を用いて変革していこうというのが
「ソーシャリー・エンゲージド・アート(以下、略SEA)」というジャンルだ。

今回、SEAに着目したのが、「カナザワフリンジ」の参加ディレクターの一人でもある、齋藤雅宏さん。
彼は、金沢にて企画・運営しているアートスペース「Kapo」という場所にて、様々なイベントやプロジェクトを行い、「アーティスト・イン・レジデンス(以下、略AIR)」も実施している。

CAAK & Kapo Creator in Residence 展覧会「媒体=MESSAGE」(2015年) マティアス・プレネン(ゲント, ベルギー在住)

CAAK & Kapo Creator in Residence 展覧会「媒体=MESSAGE」(2015年) マティアス・プレネン(ゲント, ベルギー在住)

CAAK & Kapo Creator in Residence トマス・モンセス(当時アムステルダム在住)制作風景(2009年)

CAAK & Kapo Creator in Residence トマス・モンセス(当時アムステルダム在住)制作風景(2009年)

そんな自らの経験を踏まえたうえで、“アーティストと人々の交流”をテーマに、
「AIR」と「SEA」との共通点を探り、創造的な交流プログラムを目指すこと。
それが、齋藤さんの掲げるリサーチテーマだ。

そこで、社会✕アートの関係性について研究や実践活動を行う
「アート&ソサエティ研究所センター」から、専門家2名を招聘。
レクチャーやゲストトークを9月に実施した中から、今回は同研究所の代表・工藤安代さんへのインタビューを紐解くことで、金沢、ひいては日本におけるSEAの可能性を探ってみたいと思う。


なんのために活動するのか、誰のための活動なのか。

しかし、“ソーシャル一大ブーム”の昨今にあっても、
今回取り上げるSEAという分野は、正直、日本ではまだまだ馴染みのないジャンルだろう。

特色をわかりやすく挙げるとするならば、
コミュニティの抱える課題解決のため、アーティストは他者と協働しながら制作を行うこと。
そのために、制作活動のプロセスを重要視し、アートにあまり関わりのない人たちにも積極的に参加や鑑賞のチャンスを広げながらコミュニケーションを図ること。そうやって人々の意識を変えていき、
社会をチェンジしていくことを目指す、というものだ。

一見すれば、リレーショナル・アートやパブリック・アート、参加型アートといったものに似ているように思えるが、SEAは“社会的問題”をテーマに、リアルな社会に関わり、その仕組みや制度改革までを問うアート活動としている。そこで、工藤さんにはこんな質問から伺ってみた。

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社会的課題をテーマにするって、日本だと“意識が高いね”って思われるところがまだまだ多いように思うんですね。しかし本来のSEAは、目の前にある“課題”や“問題”を解決するために取り組むのか、あるいは、アーティストの活動が、結果としてSEAというジャンルの中で説明ができるのか、その流れについてお伺いしたいな、と。

工藤
なかなかに難しい質問からきましたね(笑)。SEAは、アーティストが問題提起して世の中の認識を改めていくというものから、実際に問題解決を図るアクティビズム的な実践まで、多様な手法があるんです。なので、単純な定義付けが難しいのですが、例えばアジア圏など、貧困や青少年犯罪、人種差別みたいな問題が身近にある国は、SEAのような活動が多く見られるように思います。それはやっぱり、アーティストがなにかをしようと思ったとき、自分に身近なメディウム(媒体)や題材を扱うからだと思うんですよね。だって、貧困家庭に生まれ育ったとして、一人だけ絵を描くために高い絵の具を買ってゆったり創作活動するなんてこと、現実的じゃないでしょう?

たしかに、“ソーシャル・エンゲージド”っていうくらいですから、アーティスト自身が身を置いている環境が、結果的に大きな影響を及ぼしているのは明らかですよね。もちろん、高級な材料や素材を使ったり、新しい媒体に挑戦したりすることで、創作活動がバージョンアップすることもあると思うんですけど、SEAは“制作すること”がゴールではなく、“なんのために、どのように制作するのか”が大事だ、と。

そうですね。それに加えて、”どんな変革をもたらすのか”ということも、とても大事な視点ですよね。
ちょっと日本人アーティストを例にとってお話ししようかなと思うんですが、
まずは、川俣 正さんという、日本のSEAでは先駆者的な存在の方からご紹介したいと思います。

彼は“ワーク・イン・プログレス”という手法の作品制作で知られているんですが、以前、オランダのアルクマーというまちの、とあるクリニックから「彫刻作品をつくってほしい」という依頼を受けたそうです。でも、川俣さんは「患者さんと一緒に何かをつくったほうが絶対面白い」と言って、3年かけてアルコール依存症の方たちと一緒に作品をつくることにした、と。プロジェクトがスタートした頃は、新聞の取材が入って写真を撮られることがあったそうなんですが、その時、患者さんはみんなそれを嫌がって絶対に写ろうとしなかったらしいんです。でも3年経ったプロジェクト終盤になると、最初の頃が嘘だったように、みんな進んで写真に写りたがったらしいんですね(笑)。これはつまり、作品の良し悪しではなく、“依存症”という病気や問題と向き合いながら、患者さんが主体的に作品制作に参加してもらえるようにしたこと。それが結果として、彼らの誇りにつながり、心の成長を生んだ、と。
これこそがこのプロジェクトの成果なんですよね。

「Working Progress (1996-99), work in situ, Alkmaar, The Netherlands, wood. Photo Leo van der Kleij. All images

「Working Progress (1996-99), work in situ, Alkmaar, The Netherlands, wood. Photo Leo van der Kleij. 

まちおこしのようなわかりやすい効果ではないけれど、参加者の内面的成長につながった、と。

川俣さんのインタビュー記事を拝見する限り、「まちおこしなんてそう簡単にできない」と、きっぱり言ってるんです。その視点からみると、彼は“社会変革を目指している”というよりも、アートとはおおよそ関係のない場所や人たちが、アートの力によってどう意識が変わるのだろうかという“意識改革”にトライしていると思うんですね。

大きなパフォーマンスやインパクトではなしに、ジワジワと人の心をどう変革させていくか?というのが、すごく日本人的な手法のような気がしますね。

それで言うと、渋谷にある宮下公園の大規模ストライキを定点カメラで収めたり、3.11以降、被災地で“災害と芸術”の関わりをテーマに制作を続けている藤井光さん。それから、団地などのオープンスペースに、住民たちがパブリックな「居間」をつくってしまうプロジェクトを行っている北澤潤さんなんかも、日本的なSEAの事例だと思います。

例えば、藤井さんが制作した『プロジェクトFUKUSHIMA!』は、2011年の震災をテーマに“福島のまちに住み続けるか否か”というセンシティブな問題に関わる作品なんですが、沖縄で上映会を開いた際に、“予期せぬ観客同士の対立”が起こったというんですね。それは、前提として沖縄が政治的問題が身近にある場所だということもあるでしょう。ただそれを踏まえたうえで、映像を観た観客は何を受け取り、どのような感情や行動となって表れるのか。それが、沖縄の上映会の場合は、“意見の相違”というカタチになって表れたということです。

一方、北澤さんの場合は、同じ“震災”というキーワードが絡んでいても、また違うアプローチをとっています。例えば、仮設住宅の外にある空きスペースに、近所のひとたちが家具を持ち込んだりして、誰でも利用できるパブリックな「リビングルーム」をつくっちゃうんですね。そこで、近隣に住むひとたちみんなが集ってカフェをしたりイベントをしたりして、試行錯誤しながら今までなかった新しいコミュニテイをつくっていくんです。それだけ見れば単に楽しい場所をつくっているようにも思えるんですが、実際は“人と人の精神的なつながり”をつくり直している、というところにプロジェクトの成果があると言えるんじゃないでしょうか。

 

“事なかれ主義”では、いつまで経っても変革は生まれない。

なるほど。三者三様のアプローチは全く違うけれど、すべてSEAにおける“人の意識変革”を目指している、ということですね。ただちょっと気になるのが、実は北澤さんの活動って、市民活動やアートプロジェクトに近しいんじゃないか?ということ。そのあたり、SEAとの違いがあるのか気になります。

そうですね・・・、正直、厳密な線引きは難しいと思います。ただ、日本の場合の“アートプロジェクト”って、定義が広く曖昧なまま使われてきていて、やっとここ1~2年でまとまった書籍が発刊され、定義付けがなされつつある段階です。それを見ていて思うのは、アートプロジェクトにSEAのような“政治的”あるいは“社会的”なテーマを入れ込んだり扱ったりすると、受け手側が距離を感じて引いちゃうように思うんですよね・・・。だからこそ、アーティスト自身がそういう要素を外してしまう。そして、どちらかと言えば“人の共感”を集めるようなものとしてまとまっているのが、日本でいうところの“アートプロジェクト”のような気がしています。

たしかに、社会的な疑問をポンと投げかけて、「これは一体なんなんだろうか?どう思うのか?」みたいなことをみんなで考えるのって、日本の中ではまだまだ勇気がいることですよね。どんな波紋を呼ぶのかって考えたら、アーティスト側も尻込みしちゃうだろうし、観客もよくわからないものには触れたくない。それよりも、波風立てないように、できるだけ世論に沿う形で人を巻き込んでいき、それがまちの活性化につながるほうがいいじゃないか、と。そんな“共感”にフォーカスしたプロジェクトが、いわゆる“市民活動”や“アートプロジェクト”と呼ばれているのかもしれないな、と思いました。

日本社会は、人と違う意見を言おうとするとき、やっぱりいまだに躊躇してしまう社会ですよね。だから市民活動やアートプロジェクトのように、大多数の“共感を得る”というのは受け入れやすいものだと思います。一方で、そこに共感を覚えない人というのもきっと確実にいて、そういう人たちは必然的に排除されてしまう可能性があるわけです。“共感する”ことを、何の疑いもなく是とするのではなく、“共感できないことに共感する”みたいな、そういう意見もちゃんと拾える社会、あるいはアーティストの活動であってほしいとは思いますね。

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それって、例えば先ほどの藤井さんの話に通じる気がするんですが、沖縄での上映会で
観客に意見の対立が生まれたっておっしゃってましたよね。“対立”とか“衝突”とか“否定”みたいに、アーティストがあらかじめ予期していた反応とは全然違う角度から生まれてくる意識変革もあり得る。とすると、それらもSEAにおけるひとつの成果やインパクトである、と捉えてもいいんでしょうか。

私が思うに、「新しいものや価値をつくるときは、前のものを否定する可能性がある」ということ。
とりわけ、“前のもの”につながりを持ち、深く関わってきたひとと、“新しいもの”をつくろうとしてる人たちが対峙する局面は、絶対に衝突が生まれるでしょ(笑)。でも、それは悪いことじゃないと思うんですよね。本当に何かを革新するときって、例えば既存のものをある程度否定したり、あるいは壊したりしないとつくれないことってよくあるわけです。それはどんな時代もそうだし、アートに限ったことでもないから。

古くから工芸が根付くまちでありつつ、21世紀美術館があるように現代アートの動きも活発である。何かを変革するには、前のものをある程度否定したり、壊したりすることも必要だという言葉は、今の金沢にとって耳の痛い言葉のような気もしますね(笑)。

でも、若い作家が伝統的な技法で新しいことにトライする、という動きはとてもいいんじゃないでしょうか。長い目で見れば、「それしかない」っていうものより、その世界にとって「バリエーションができた」という価値って、とっても大きいと思うんですよね。動植物をみると顕著ですけど、生物は自分たちが子孫を残すために、何代もかけて進化を繰り返していく。そうやって、「いろんなタイプの種を残しておくことが、全体の種を生かすことなんだ」と。だとしたら、どうしても「古いVS新しい」の議論になりがちな伝統工芸の世界でも、多様にすることで残っていくことって、その伝統が生き残っていくこともあるんじゃないでしょうか。

⇒後編へつづく

取材・文/喜多舞衣(オノマトペ)

2016年12月22日 | Posted in レポート | タグ: No Comments » 

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