2016年09月12日

【後編】シームレス&フラットな時代に、滞在制作はどこに向かうのか?

アーティスト、キュレーター、アクティビストたちを招聘し、既存のアーティスト・イン・レジデンスを考察。そのうえで、「ホスト・ゲスト」の関係を一旦取り払った先には、どんな新しい滞在制作のカタチが見えてくるのだろうか。

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今年の春から、文化庁が文化芸術資源を活用した経済活性化(文化GDP)の拡大を推進しつつあります。正直これって、なかなか数値にしにくい基準なのは、重々承知のうえでお伺いしますが、みなさんもアートに関わる活動の中で、ご自身の評価はどうやって図ってらっしゃいますか?

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居原田:
んー、すごく難しい質問ですよね。でも、誰にとってもwin-winになるものって、“記録”だと思うんですよ。なぜなら、“作品の価値”みたいなところに判断基準を置いちゃうと、作家とかお客さんによってバラけちゃうじゃないですか。だからどんな活動であれ、「その人が、その時代にいた」という事実を記録する。だからこそ、私のプロジェクトはドキュメンタリーを選んだというのがあります。

長谷川:
たしかに、記録は面白いですね。でも、居原田さんのいうwin-winは、今生きてる人たちのためにっていうのが、すごく強いのかな、と。僕の場合はもう少し幅広い次元から考えちゃうところがあって、一生懸命こういう理由でこういう意図でやりましたっていうのを本にして、それが50年後とかまで残っていたとしても、その頃はまた全然違う文化や環境を持つ時代になっているはず。すると、何十年後かの読者がそれを読んでも、全く違ったものがフューチャーされてしまったりして。いい悪いではなく、そういう可能性もあるなって思っちゃいましたね。

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𡈽方:
そういえばちょうど昨日、金沢のミニシアター「シネモンド」にリサーチで伺った際、オーナーが、「今の時代は映画が多すぎる。いくら映像記録として残っていても、長くて見てもらえない可能性が増えてくるだろう」っておっしゃっていて。映像に限らず、本当にコンテンツが乱立している中で、記録したとしても埋もれていって、もしかしたら永遠に発掘されなくなるかもしれない。だから僕は評価基準になるための記録はもちろん大事だと思うんですが、コンテンツを埋もれさせないための仕組み、もしくは次につなげるアプローチをどうやってつくっていくべきか、という仕組みの部分も気になっています。

住:
僕は、居原田さんと同じように、記録としてドキュメントブックや記録集をつくるのは、最初から想定しています。それは、このプロジェクトのことを知らない人にも伝えることができる媒体ですし、やはり重要だなと思っているから。ただ、その前提条件のうえでみなさんの話を聞いていたんですが、僕の場合は考え方が逆ですね。記録の目的とは、“残すこと”だけが全てじゃない。たとえ歴史に埋もれて消えていく記憶であっても、アートという手法でそれらを表層化させて、アップデートしていける。
そういう意味においても、記録することが必要だと思っています。

なるほど。“記憶”と“記録”の狭間で、どんな媒体や方法を用いて存在していた事実を残すのか。
アートに限らずとも、これからの時代においてとても重要な論点となることに、間違いありませんね。そんな中でも、地域の人たちとたくさん交流、もしくは交渉されているみなさんだと思うのですが、そういった際に、大事だなと思うキーワードみたいなものがあったらお伺いしたいです。

住:
そうですね、やっぱり丹那っていう地域では、こういった活動をするための協力者を得るのが非常に難しかったですね。当たり前のことなんですけど、よそからきた人間が、いきなり変わったことをやり始めると、もともと土地にいた人との間になにがしかの摩擦みたいなものが起こりうる、と。
それは、どんな地域でも、どんなアーティスト・イン・レジデンスでも、一緒ですよね。
ただ、この地域には、新しい試みに協力的なお寺の住職さんがいらっしゃって、その方にはプロジェクトの会場としてお寺を使わせていただいたりと、本当に助けていただきました。あとは、今回もそうですが、プロジェクトの中でインタビューを受けていただいた方に対して、話した内容をどこで使うのか、上映権は誰にあるのかなどなど、契約書を交わすようにしてますね。細かいかもしれませんが、それが信頼を生むことにつながると思うんです。

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居原田:
私もそれと同じ感覚だなと思ったのは、グローバリゼーションが進んでいくら人と人が簡単につながれるようになったと言っても、例えば夜10時すぎまでパフォーマンスをしていたら、隣のおじいちゃんに怒られる、と。それを回避するためには懇切丁寧に周知させる細やかな配慮が必要である、という暗黙のルールであったり、社会的なものに対して非常にセンシティブになる土地柄があるというローカルルールは、絶対にそれぞれの地域で活動する際にぶつかる問題だったりするんですよね。
でも、だからこそ、状況が過酷であればあるほど人は集いたくなる。何かしらの問題を解決するためには、一人じゃなくてみんなで共有していくことが、 “場をつくっていく”ことへのモチベーションになっているんだなと感じてますね。

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よそから来たアーティストが、カタチのないものや移ろいゆくものを、なんらかの形で残していく。それが、土地に根差した人の意識や記憶に触れ、互いの関係性が変わったり、何かを共有したりする機会になると思います。ただ、やはり一時的な“滞在制作”というのは、アウトプットだけが地域に残り(残らない場合もありますが)、アーティストはまた別の場所に旅立っていくのは避けられない事実。では、そこに罪悪感やジレンマを抱くのか、もしくは割り切って次に行くのか、
多分どなたも直面したことのある葛藤かと思いますが、そのあたりを最後に聞かせていただきたいな、と。

長谷川:
さっき𡈽方くんが、「5ヵ所くらい拠点があるといいな」って言ってたと思うんですが、「また遊びに行ける、あのひとたちに会いに行ける」って素敵なことですよね。僕思うんですけど、「自分は一定期間しかいないから申し訳ない」っていう、アーティストの抱える謎の罪悪感って、受け入れ側の意識の弱さも関係してる気がするんですよね。「この時期、この場所で、絶対にあなたじゃなければダメなんだ」っていう、圧倒的な必然性のもとでアーティストを迎えることができているかどうか。それぞれが最高のパフォーマンスを発揮すれば、閉鎖的に凝り固まったりすることなく、柔軟で、より多様に複数化していくはずなんです。そういう仕組みを考えることで、変な後ろめたさは消えるんじゃないかなって思います。

居原田:
私のプロジェクトが、なぜ数珠つなぎで撮影し、次の土地で上映していくスタイルをとったのかっていうのは、まさにそこにあるんです。前回伺ったスペースの上映を、次のところで上映する。そういう連鎖を生み出すことで、そのプロジェクトに関わっているという一体感をつくる。そうやって知らない人たちをつなぎながら、ジレンマの解消法としての記録を同時に行っているんです。だから、長谷川さんの言うように、受け入れ側の強い意識はもちろん大事ですが、それと同じくらい、制作をするアーティスト側もアウトプットの仕方やアーカイブの仕方、人の巻き込み方について仕組みをつくり、自らの作品制作につなげていく。そこにクリエイティビティを授けていく、というのが大事だと思うんですよね。作品内容の面白さうんぬんにこだわるのではなく、ホスト側とゲスト側の意識を同じレベルに引き上げたカタチで、レジデンスプログラムをつくっていく。“アーティスト・イン・レジデンス”は、そんな場にしていくべきかなと思っています。

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日本の場合は、大規模なアーティスト・イン・レジデンスを主催する主な担い手が、自治体や地域が多いからこそ、いつの間にか地域に滞在して制作するという行為にのみ強くスポットが当たり、交換条件のようなカタチで、その成果を強く求められるようになってしまったように感じられる。

しかし本来は、アーティストたちが既存の制約から積極的に抜け出し、
新たな創作や場の可能性を探ること。それをホスト側がサポートし、“仕組み”として整えていくこと。
その中で、文化の違いや環境の違いがあったとしても、多様なコミュニティがいかに社会と繋がり、
コミュニケーションを取りながら問題を解決していけるのか。そんな、“人”と“土地”をつなぐことのできる、ひとつのプラットフォームになりえるのではないだろうか。

シームレスにつながれる時代の中で、トップダウン型ではなく、ボトムアップ型でネットワークをつくっていく若者たち。その特性を生かし、次代を担うアーティストたちによる、アーティストたちのための
新しい“アーティスト・イン・レジデンス”の可能性が、ここ金沢から模索できると面白いことになるはずだ。

取材・文/喜多舞衣(オノマトペ)

2016年09月12日 | Posted in レポート | | No Comments » 

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