2016年07月15日

④観光客の定番人気居酒屋へ@いたる本店

サラリーマンで賑わう都ホテル地下街を散策した後、
いざ向かうは片町のいたる本店です。
夜風が心地よかったこともあり、
駅前から片町へはてくてく歩いて向かいます。

「このお店は最近できたよね」「あの店とあの店、似てるけどどっちに入る?」など
話しているとあっという間です。話題は食のことばかり。

20分後の20時39分、無事到着。
うちは美味しいもの出すよ、という風格ある店構えです。

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おじゃましまーす!

黒板に書いてある、本日のコレゾは
天然岩がき、能登さば浅じめ、富山湾白海老、生たこ、
加賀太きゅうりとのことですが・・・

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注文したのは、

・太胡瓜と金時草サラダ ・白海老の冷やし豆腐
・甘海老のパリのっけ ・治部煮 ・ジャーだら麺

の5品とお酒。

金時草はサラダでも美味しいですね。
白海老の冷やし豆腐は、豆腐の中に白海老が交じっているかと思いきや、

白海老を丁寧に裏ごししたお豆腐です!

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稲田さんから今日イチの「うまい」を頂きました。
白海老だからこその味かどうかは分かりませんが、豆腐なのに口に広がるこの十分な海老感。

そして、料理人が丁寧なお仕事をした感。
さすがいたる本店!
甘海老のパリのっけ、ジャーだら麺という料理の名前からも、
”酒と人情料理”を語るお店らしさ感じます。

そして治部煮。
意外にも割と濃口に仕上げてありますが、こちらもさすがの美味しさ。

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皆が求める郷土料理を提供し続けている、
そんなかっこよさがありました。

稲田さんコメント

金沢の食に対して少なくとも現時点で私が抱いているイメージはズバリ「優等生」というものです。ふだん食に関してあまりにも破天荒で野生児的な名古屋という土地で暮らしているせいで余計そう思うのかもしれません。
ならば、と、この日の訪問先としてたくさんの候補が上がった中で、私は「その中でも最も優等生的」と思えたこちらにお邪魔しました。
と言っておいてなんですが「優等生」という言葉には常にネガティヴならばイメージもつきまといます。四角四面でで面白みに欠ける、みたいな。しかしこれは実に失礼な誤解だと思います。面白くなければそれは本当は優等生ですらないのかもしれません。突き抜けた優等生の面白さには計り知れないものがあります。
いたる本店、やはりそんなお店でした。
白海老どうふの完璧なおいしさにも唸りましたが、一昔前の創作居酒屋ブームを彷彿とさせるいくつかのお料理が、ブーム追随に終わらずしかも完璧な完成度に仕上げられて残存している懐の深さにも痺れました。

 

四井さんひとこと
次の目的地はいたるになった。
夜は片町近辺で一件居酒屋的なお店にいこうと決めてたけど
専務の希望でいたるに決まった。
ここもずっと行きそびれてたしちょうどいいな。

金沢駅前からいたるまで、せせらぎ通り沿いをぷらぷら歩いた。
うえだDが「あー夢みたい」とか言う。
夢みたいは言い過ぎでも、
今やあのエリックサウスの中の人イナダ専務と今現実に
慣れた金沢の町を舞台で我々の手の内を明かして食のやりとりをしてる。
美術教養の薄いぼくはいつも有名なアーティストにピンとこないけど、
たぶんそう、学生時代憧れてたアーティストといっしょに共同制作してるとか?
そんなかんじですかねぼんやりすぎるたとえでごめんなさい。

企画の主役はもちろんぼくではないのですが、
本人以上に本人の思考が正確に伝わるかを心配してるのはたぶんぼくで、
でも既に本人の書くテキストは実に簡潔かつ正確に仕上がっているので、
さてちょっと今後この場では「専務のあえて言わない裏側」を醸せたらなと考えてたところ、
なぜか昔なつかし話を書き出してしまったので、今回はこれを元に書く。

ぼくが専務と出会ったのは6年程前、美大を卒業して岐阜に戻った年の夏に
オープニングスタッフとしてバイトに入ったらうめん屋“一徹”で
「料理を作った会社の人」としてメニューの説明をしてくれたのが最初だった。
普段はいちバイトとして専務とリアルに絡むようなことはあまりなかったけど、
当時面白そうな大人に心を開きたがる癖と、ほぼ同時期にTwitterを始めたのもあり、
ぼくは一方的に専務ツイートやブログを覗くのが日課のイナダウォッチャーになった。
また、バイトが足りないときなどはらうめん屋と同ビル内の姉妹店
”ニュートンサーカス”(現ニュートンバル/エリックサウスの前身)を手伝う事もあり、
そこで出会った“インド料理”や“ミールス”という概念は、後のぼくに大きな影響を与えた。
まかないはいつも徒歩20秒かけてニュートンのカレーを食べに行った。
バイトを続けながらTwitter経由で作者の意図をちょっとづつ知っていくと、
なんでもなくまあまあうまいねと感じていたらうめんの方も、
飽きるどころかだんだん鮮明にこれしかないと言えるうまさを感じるようになっていった。
これは完全にぼくの言葉であるが、作られたものにはなにかしら救われる種があると思えた。
ミールス皿というのを専務から提案され、試作品を作って持っていった事もあった。
インドと日本の器に対する表裏感覚の違いの話をしたのはよく覚えている。
(今企画はまさに、この時未消化で終わったコラボの続編がやりたくて仕掛けた側面がある)
そんなふうに、間接的なのも多く含まれるが、
四井の食思考スイッチを押しまくってくれた人が、イナダ専務であった。

今現在の言葉で書くと、
直感とか愛とかを最優先にそれが下界のごたごたで死なない為に
論理的でフェアかつ無駄に熱のある理屈を準備して発信し、
それにより既存イメージの逆転などを時に伴いつつ、
ある種自分や人を騙したり勘違いさせたりをも伴いながら、
最後は単純な答えの共有を望んでいるだけの、この感じ。
問題処理の動機と方法と態度がビシィと縦奥にシンクロする感覚を味わえる。

今回のいたるのポイントは、
金沢民からみて観光客がいつもいっぱいでしかもおいしいと評判の、
歴史や教養より実用と品と現役世間評価を併せ持ったなんというか、
ポピュラーなオリジナル居酒屋が、
「うん、やはりそのとおりすばらしい」
という周知の事実をポジティブに肯定する様に、
外側からの情報を信じるだけでなく、己の感想として
(細部から外側に向けて)確認できたところが安心なのだ。
専務は、それをしていた。
よさを、彼なりの明確さで捕えて、楽しんでいるように見えた。
(フリンジの企画コンセプトにあった気もするが、
元々外から来たひとの目というのは、極端に、
外側か、そうでなければ細部、に向きやすいといえるかもしれない。)
業が深いな。

ところで飲食というのはたぶん陶芸とかの業界に比べたらもっと、
受け手が好き勝手ディスれる空気みたいのがある。
それを受けて表出する立ち振る舞いというのがあり、また、評価に繋がる。
ディスりだろうといい面だろうとまあそんなサイクルはある。
外側の評価や遺された事実を見て、また外側から嫌ったり好かれたりの形。
己の判断さえそれを元にするしかないもんだが、
このサイクルの中にいながら、
ひとが細部→外側に向けて感想を走り切らせてる姿をみるだけでも、
ずいぶんといろいろ信じられるようになる気がするぼくである。
これがたかだがおいしいに終止する世界の中での、飲食の楽しみ方かも。

またも唐突だけど、
TEI-ENの核になってるのは「愛のある料理」に違いないなと思えた。

2016年07月15日 | Posted in Research 1 | タグ: No Comments » 

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