2016年07月03日

【前編】あぁ、愛すべき誤解! “金沢・妄想レストラン”へようこそ

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「もしこれが本当にオープンするとしたらさ、きっと“愛のある誤解”がありそうだよね」

そんな言葉をもって、嬉々としながら今回のプロジェクトの妄想話を語るひとりの男性。
アロハシャツを身に纏い、ひょうひょうとした雰囲気を醸している彼こそが、
名古屋を拠点に食のトータルプロデュースを手掛ける稲田俊輔さんです。

学生時代のバイトから今に至るまで飲食業界一筋。「歩く料理百貨」と言われる稲田さんは、
もしや、一国一城の主を絵に描いたようなハングリー精神の持ち主か?と思いきや、
「理想は高く、意識は低く」がモットーとのこと。そんな彼の本質は、英才教育がごとく
“食”と自然に向き合い続けてきた、その生い立ちにありました。

彼が考える“食”を通じてみえてくる“金沢の食”とは。
それが、今回のプロジェクトにどうつながってくるのか。
カナザワフリンジで展開する“TEIEN“プロジェクトの構想について、あれこれ語ってもらいました。

【プロフィール】
稲田俊輔氏

ラサール高校卒、京都大学経済学部卒。卒業後は食品メーカー勤務を経て料理の道へ。
円相フードサービス専務取締役。フレンチ、和食、エスニックと幅広い飲食店の業態開発やレシピ開発を手掛けている。現在、食文化論に関する初の著書を執筆中。

#1.食べるときは、食べ物のことしか考えてません!

 

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まず、稲田さんのこれまでの“THE 料理人道”についてお伺いしておきたいな、と思うのですが。

えっと最初にお断りしておくと、実はいわゆる修行らしい修行は一度もやったことがないんです(笑) 
師匠もいないし。趣味の延長線上でいつの間にか仕事になっていたっていう感覚が、正直なところですね。僕、学生時代は京都だったんですけど、ありがたいことに学生に甘いまちなので(笑)、とにかく勉強がてら、興味の赴くままにいろんなお店でアルバイトをさせてもらってました。自分が「この店いいな」と思ったとこは、「ちょっと働かせてください」とか飛び込みでお願いしたりして。

じゃあ、「バイトがそのまま修行」でもあった、と。たしかに、京都で食に関わる仕事をとなると、バイトであろうとなかろうと、外からの評価が容赦なさそうですね・・・。ちなみに、バイトをする店を選ぶ基準ってなにかあったんですか?

オーナーの人柄がいいとか接客がいいとか、店がおしゃれだとか、そんなのはどうでもよかったですね(笑)。単純に、メニューの見た目と味を含め、その料理にまつわるストーリーみたいなものがしっかりしてる、っていう文系的な要素のある店に、興味があったかな。

料理にまつわるストーリーが、しっかりしている。

なんだろ、僕の中では、お店のメニューってその店のコンセプトそのものだと思ってるんですよね。中でも、メニューブックはまさに一冊の本というか小説みたいなもので、店のストーリー、料理にまつわるストーリーを、全部そこに集約できるわけです。隅から隅までオーナーの意思を反映した構成で、好きなようにメニューを組んで、好きなスタイルで提供する。それがしっかりと感じられる店が、僕にとってすごく魅力的だっていうこと。

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なるほど。チェーン店と個人店の違いって、そこがひとつの決定的な違いになってきますよね。

そうそう。でね、僕は大学卒業後も飲食店で働くつもりだったんですけど、ちょっと親の反対とかもあって、最初はとある食品メーカーに就職したんです。実は、飲食店のオペレーションや運営指導をしていく子会社に出向するのが目的だったんですけど(笑)。ただ、営業とか予算組の仕事をしていくうちに、「よくよく考えたら、飲食店の企画をやりたいわけじゃないな」と思っちゃったんですよねぇ・・・自分が手を動かしてつくったものを飲食店で出したいのであって、会社や組織として企画をやりたいわけじゃないな、と。

誰かのサポートではなくて、料理にまつわるストーリーを自ら描く側でいたい、と。

そうなんですよ。当時は若かったっていうのもあって、「絶対、俺のほうがうまくやれるよ」っていう根拠レスな自信がなぜかあったんですよねぇ・・・。のちのちそれは大きな誤解であることに気付くんですけど(笑)。それで、結局27歳の時に退社して、30歳までフラフラしようと思ってたら、ちょうど今うちの会社の社長をやってる武藤も会社を辞めちゃって。その彼が地元の岐阜で店を出すっていうので、結局二人で小さな居酒屋を立ち上げたのが、本格的に飲食の世界に足を踏み入れたきっかけですね。

モラトリアム期間なくして念願の“食”に携われたのは、やはり稲田さんの運命のように思えますね(笑)。お二人で店を持たれたのが始まりということですが、稲田さんの中で、“お店のオーナーになること”と、“自分が料理をつくること”というのは、イコールということですか?

いや、全然違いますね。僕は、店をやることはどうでもよかったんです、本当(笑)

すごい。即答ですね(笑)

よく、飲食でお店を始める人にありがちな、「起業がしたい」とか「社長になりたい」とか、ベンチャー的なモチベーションで始められる方って多いじゃないですか。でも、僕はそういう野心はまるでなくて、できたらトップには立ちたくなかった。僕は、ひたすら料理をつくってそれを出せればよかったんです。

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ひたすら料理をつくりたい。ひとつお伺いしたいんですが、なぜ“料理”がお好きなんでしょう?

うーん・・・、今思えば、うちの両親の家系が両方とも食べることを大事にするというか、重要視する家系だったんですよね。だから自分の中では、それが当たり前だと思っていたんです。でも世の中に出てみたら、「あれ、なんで世の中の人たちはこんなに食に興味がないんだ?」って、逆にびっくりしたという(笑)

そういうカルチャーショックなんですね(笑)。
ご家庭では、具体的に何をどういうふうに重要視していた、とかあるんですか?

うーん、どうでもいいものを食べない。食べても食べなくてもどっちでもいいものを食べない。

どうでもいいものを食べない。

いわゆるグルメ的な嗜好の、「和牛しか食べない」とか「決まった産地の鮎しか食べない」とか、そういう世界ではなしに、惰性で食べないというか、一食一食に対して真剣に食べるっていうか。
そうだな、例えば親族何人か集まって「ラーメン食べたいね」って話が出るとするじゃないですか。
「でも、近場のチェーン店のラーメン食べるくらいだったら、前に横浜で食べた牛肉煮込みそばが食べたいよね」、「そうだね、じゃ行こうか」って言って、みんなでそのまま新幹線乗って行っちゃうみたいな。

えー! なんだかバブル期の栄光話として耳にするような、豪遊をイメージしちゃいますけど。

あ、うちはお金持ちとかそういうのじゃないですよ。謙遜して言ってるわけでもなんでもなく、
本当に、ごくごく普通のサラリーマン家庭でした。

稲田家にしてみたら、なにも特別なことじゃなかった、と。

そうですね。例えば、うちの母方のおばあちゃんなんかは、昔から自分の中で“鰻”と“お寿司”と“中華”のお気に入りのお店をランク付けしてて、食べログの走りみたいなことをやってましたし。旅行も、僕らの中では観光しに行くというよりも、その土地の物を食べるためにいく行事であって、食事と食事の間に行けるところに観光行こうかっていうスタンス(笑)。そういうのもあって、小学生の頃から家にある「暮らしの手帖」のバックナンバーをみては、自分で料理をつくってたんです。
そしたら、それをみた母親が途中で添削してくれたりして。

お母さまによる添削!

そうそう、さじ加減とかタイミング含め、間違いがちなところをね。
当時はそれが特別なことじゃなくて、僕にとっては日常生活の一部だった。
だから、何においても“食べることに生活の軸があった”っていうことなんでしょうね。

うーん、なるほど。ビジネスの選択肢として“料理”を選んだわけでもないし、
技術を磨くための修行として、ある瞬間から“料理”と向き合い始めたわけでもない。
稲田さんの食との向き合い方は、生まれ育った家庭そのものに原点があった、と。

ただ正直に言うとね、だからといって自分の中で「将来の仕事にするのは、絶対に料理じゃなきゃいけない」っていうわけでもなかったんですよね。実は音楽でも小説でも、絵でも、なんでもよかったんです。

え、ここにきて、まさかの衝撃発言。

どれくらい本気で将来性を見据えていたかは別として、実はいろいろ挑戦してみたんですよ。音楽はね、ちょっと惜しかった。バンド活動がちょっとうまくいって音楽会社から声かけてもらって、「あれ、俺いけるかな」みたいな(笑)。 とはいえ、その根底にあったのは、自分の手でつくって、それを世の中にリリースしたいっていう想いでしたし、結局その中で自然と残ったのが、料理だったっていうのはあるかもしれないですね。

それは、稲田さんを取り巻いてきた環境の中に、“食べる”という行為が本当に自然なものとしてあったからこそ、自分の中に“残った”と表現できるんでしょうね。「理想は高く、意識は低く」というモットーがすごく頷けます(笑)。やはり、家族で食卓を囲んで会話するっていうのは、大事っていうことですよね。

あ、僕ね、絶対に家族で食卓を囲んで会話するっていうのは必ずしも善だとは思わないんですよね。

あれ、そうなんですか。今日は思わぬタイミングで、たびたび心地よく裏切られる感じがします。

一人で食べる=マイナスに捉えられる場合が多いかもしれないですけど、でもそれは食べ物に対する感想を自分で反芻してる状態ですよね。つまり、少なくとも自分と対話しながら“食べ物に向き合ってる”状態とも言えるわけです。僕みたいに、食べ物を生活の軸にしてる人たちにとってみれば、一人だろうが大人数であろうが、食事をしているときは、とにかく食べ物のことを考えて話題にしているわけですけど(笑)。でも、食べ物を囲んでるのに全然違う話をしている人たちも、一定数でいるわけですよね。

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あ、たしかにそうですね。というか、それがマジョリティーだったりするのかもしれない・・・。

「食べ物は一人で食べるのは良くない。みんなで食卓を囲んでこそ食事だ」って言ってる人たちに限って、実は食卓を囲んでいながら、食べ物の話をしてない気がするんですよね。その日、学校であった話と職場であった話とか、恋愛話とか、そういうのを期待してる気がするんです。いや、もちろんそういうのも必要だとは思うんですけど、僕は、それがなんだか不誠実というか不自然だなとも思うわけです。
「“いただきます”から“ごちそうさま”の間だけは、食べてることに向き合おうよ」って。
それこそが、本当は豊かな対話の時間なんだと思うんです。だから僕はちょっとおこがましいかもしれないですけど、こういう楽しみ方をしたら毎日の食事はもっとエンターテインメントになるんだよっていうことを、伝えたいんですよね。

取材・文/喜多舞衣(オノマトペ)

2016年07月03日 | Posted in Research 1, レポート | タグ: , 1 Comment » 

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